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24/09/27
【MEDIA TIMES×輸送経済コラボ企画②】中野 晋一 中野倉庫運輸会長インタビュー
「安定企業で次の100年へ~物流と不動産 両輪で~」
1923年に創業し、昨年100周年を迎えた中野倉庫運輸(本社・東京、田中隆之社長)。北海道から九州まで国内13カ所の倉庫を構え、物流事業を通じた社会貢献をモットーに「全国規模の最小最良物流企業」を目指している。2021年には岐阜県多治見市に約30年ぶりとなる新倉庫をしゅん工。中野晋一会長は「定期的な再投資も行いながら、次の100年に向け安定企業として成長を図る」と語る。
――昨年8月に創業100周年を迎えた。
中野 1923年、関東大震災直前に祖父の中野真一郎が現在の東銀座で個人経営の中野運送店を創業したのが始まり。27年には江東区枝川の埋め立て地の払い下げを受け、戦後事業の基盤ができた。55年に現在の中野倉庫運輸が誕生した。
――早くから取引先にも恵まれた。
中野 主要取引先のトヨタ自動車とは終戦間もない当時、〝販売の神様〟と呼ばれた神谷正太郎氏と縁あって、50年代に自動車のカタログの発送を請け負うことになり、アメリカでも同じ業務獲得を念頭に71年の米国法人を設立した。また、食品大手明治との取引は、79年に2代目社長に就任した父の中野順市が知人から紹介を受けて始まった。
経営再建で米国法人社長に
――90年代以降苦しい時期も経験したが、2021年に約30年ぶりに岐阜支店(岐阜県多治見市)の新倉庫を設立した。
中野 米国を含め当社も事業の見直しを迫られる中で、長年投資を抑制してきた。国内では近年ようやく経済がインフレ局面に転じ、投資再開へとかじを切った。私が1993年に米国中野倉庫社長に就いたのも再建が目的だった。
――それまでIBMに勤務していた。
中野 高校卒業後は米国で暮らし、米IBMに入社した。大学で工学を学びIBMではOS(基本ソフト)やハードディスク開発に携わり、米国中野倉庫に赴任する直前まで東南アジア・オセアニア地域の担当部署に在籍していた。会社を継いだことはまさしく巡り合わせだった。米国中野倉庫を再建後、99年に中野倉庫運輸社長に就いた。
10年1度のペースで再投資
――90年代後半の金融危機も克服した。
中野 就任直後から、財務の立て直しに奔走した。この時も高校時代の人脈や父の人脈に助けられた。立て直しの過程で2013年までに運送部門を全て子会社化した。倉庫事業、運送事業は利益率は高くないが幅広い取引先を持つ一方、倉庫賃貸などの不動産事業は利益率が高い。各事業のバランスが安定成長の鍵になる。
――今後の展望は。
中野 23年度の売上高は32億9000万円。そのうち不動産事業の構成比は約10%で、将来的には25~30%程度に引き上げたい。23年には米バージニアにも新支店を設立したが、不動産事業の収益も活用して10年に1カ所程度のペースで再投資をしていきたい。約200人規模のグループ体制を維持しながら、次の100年に向け安定企業として成長を図っていく。